沿革
創業者足跡
明治36年9月、父、長嶋兼太郎 母、すみの四男として、東京神田明神下で産声を上げた喜代蔵は、幼少時に父を亡くし、神田の今川尋常小学校を卒業後、(倭屋本店森川惣助商店)<現、ヤマト科学株式会社>へ丁稚として入社し、修行の身となった。 拾数年の修行を経て番頭へ昇進後は、営業第一線で国内は元より、東南アジアの国々まで飛び回った足跡が残されている。第二次世界大戦真最中の昭和18年5月、諸事情により退社を決意、同僚の土肥良雄氏と共に神田鎌倉町に共同事務所を借り上げ独立。
<長年お世話に成り育ててくれた商店との競合は避ける> 明治生まれの律儀さと、当時マイナーだった乳業業界に目を向け、牛乳、乳製品の試験、検査器具に関する業種に特化専念して営業を開始した。
人間が牛乳を飲み始めたのは紀元前に遡るとされるが、一種の薬として用いられていたので有り、日本では明治以降に飲用を奨励されてきたが、一般庶民に薬用から飲用として認知を受けたのは第二次世界大戦後のことである。故に戦前、戦後数年間、営業成績は苦戦続きであった。しかし、持ち前の不屈の営業開拓精神で苦難を乗り越え、今日の事業基盤の礎を築き上げた。
昭和12年元旦 倭屋本店森川惣助商店
向かって右端に立つ初代 当時34歳
年表で辿る社歴
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1943年5月
(昭和18年) -
東京神田鎌倉町にて長嶋製作所創業。
長嶋喜代蔵 40歳 -
1944年
(昭和19年) -
ドイツ カール・ツァイス社製顕微鏡
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1945年8月
(昭和20年) - 第二次世界大戦、終戦
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1947年2月
(昭和22年) -
旧地番、文京区本郷1丁目9番地に移転。
現、文京区本郷2丁目14番地10号 -
1952年頃
(昭和25年頃) -
旧日本乳製品技術協会推奨により各種発売。
オリジナル真鍮製セジメントテスターA・B・C型
オリジナルミルクセジメントディスクφ33mm濾紙
牛乳生乳・市乳塵埃用オリジナル写真版
ガラス製原版 -
1955年頃
(昭和30年頃) -
弊社販売のマジョニア管手廻し遠心機及び鋼製湯煎器
- 1957年頃
(昭和32年頃)- 弊社カタログ
- 1960年12月
(昭和35年)- 現在地にて会社設立登記 払込資本金100万円
代表取締役 長嶋喜代蔵 57歳- 1963年頃
(昭和38年頃)- 初代社長 タイム誌掲載写真
東京の風情、居酒屋で一杯!!- 1969年 夏
(昭和44年)- 当時の弊社前で初代社長と孫娘
- 1970年10月
(昭和45年)- 払込資本金200万円に増額
- 1973年9月
(昭和48年)- 払込資本金300万円に増額
- 1975年11月
(昭和50年)- 初代 代表取締役 長嶋 喜代蔵 退任73歳
2代目 代表取締役 長嶋 正 就任50歳- 1982~3年頃
(昭和57~8年頃)- 改築後の弊社店舗前景
- 1983年頃
(昭和58年頃)- オリジナル 瓶缶兼用ガス圧計 KN-Y10型 発売
アミノ態窒素定量値測定用 改良型バンスライク機発売- 1986年3月
(昭和61年)- 新築長嶋ビル、竣工祝式典
- 1992年4月
(平成4年)- 3月に2代目急逝
3代目 代表取締役 長嶋 正博 就任52歳- 1996年12月
(平成8年)- 払込資本金1000万円に増額
- 1997年5月
(平成9年)- オリジナル自動塗抹機完成1号機発売
- 1998年9月
(平成10年)- 果実飲料品質表示農林規格(IFFJP法準拠) Dr.Rebelein エタノール分測定装置輸入開始発売、
揮発性酸度定量装置オリジナル製作、
精油分蒸留装置オリジナル製作 同時発売- 2009年3月
(平成21年)- オリジナル1ℓサンプリングバッグ発売
- 2011年12月
(平成23年)- 3代目 取締役会長 長嶋 正博 就任71歳
4代目 代表取締役 長嶋 博勝 就任50歳- 2013年1月
(平成25年)- リニューアルオリジナルミルクセジメントディスクφ33mm 100枚入発売
- 2013年9月
(平成25年)- オリジナル500㎖サンプリングバッグ発売
- 2014年11月
(平成26年)- SUS304製オリジナルセジメントテスター製作発売
- 2015年8月
(平成27年)- 改良型オリジナル真鍮製200mlセジメントテスター発売
- 2017年7月
(平成29年)- 特注蒸気乾熱器を
公財)日本乳業技術協会へ納入
- 2020年3月
(令和2年)- 有限会社与野科学の営業権を譲渡
全製品を製作・販売開始
- 2023年1月
(令和5年)- 購買サイト ナガシマss-net 開設
- 2023年4月
(令和5年)- 株式会社富士通ゼネラルと販売店契約締結
- 1957年頃